Le-soleil-oga’s blog

~お酒で、悩んでいませんか?~

「夏は、すぐそこ」

夏は、すぐそこ

 梅雨が始まりましたね。毎日、ジトジトして不快指数が上がっています。

 

 皆さんは、いかがお過ごしでしょうか?

 

  私は髪を短く切り、来るべく暑さに準備万端です。

 

 天気予報を見ると、梅雨が明けて、三十度を超えている地域もあるみたいで、驚きです。

 

 かたや、大雨でかたや猛暑で・・・。

 

 自然の不思議さを感じている今日この頃です。

 

 宇宙が誕生して138億年、地球が誕生して46億年、そして人類が生まれました。

 

 人は長く生きても百年と少ししか生きれません。

 

 宇宙や地球の歴史からすると、ほんの少しの瞬きでしかありません。

 

 それでも人は生きていきます。

 

 永遠の命と永遠の愛を紡ぎながら。

 

 私は夏が大好きです。

 

 大きな入道雲に澄んだ青空、ずっと続くかと思ってしまう程の西日の輝き。どれをとっても本当に、素晴らしいものです。

 

 皆さんは、今夏はどのように、お過ごしなされますか?

 

 想いを寄せている彼や彼女に、告白をしますか?

 

 それとも、もうお付き合いしている彼や彼女と素敵な想い出を作りにいきますか?

 

 帰省して来た家族や友達と、美味しい物を食べたり、バーベキューをしたり、花火を見に行ったり、海に行ったり、素敵な想い出を作って下さいね。

 

 夏が苦手の方も、もちろんいらっしゃる事かと思います。

 

 くれぐれも、水の事故や、熱中症等には、お気をつけ下さい。

 

 小さい子供達が、今か今かと夏休みを待っているかの様に、私も夏を待っています。

 

 子供の頃は夏が永遠に続くかの様に思えていました。

 

 私は野球をやっていたので、あの暑い中、追いかけていた白球の形は今でも鮮明に覚えています。

 

 大人になった今、追いかけている物があるのかと、常に自問自答しています。

 

 甲子園で、熱戦を繰り広げ、一球に懸ける球児達の想いを見ると、自身の学生時代を想い出します。

 

 人生を振り返ってみて、一生懸命になれた時間があるというのは、本当に素晴らしい事です。

 

 皆さんは、どうでしょうか?

 

 自分自身の夢も夏も終わらない。

 

 だって、夏はいつだって裏切らないから。

 

 皆さんが、素敵な夏の想い出の1ページを作れます様に。

 

 それでは今日はこの辺で失礼します。

 

 またのご機会に。

みんなちがって、みんないい。

 唐突ですが、パソコンで調べた所、世界人口は79億5400万人、日本人口は1億2560万人もいるそうです。

 

 最も、正確な数値は、日々変動はあるでしょうが、今の所、地球にはこれだけの人々が住んでいると言う事になります。

 

 私が住んでいる秋田は、本当に素晴らしい所です。TVでは少子高齢化が日本で最も進んでいると、叫ばれていますが、田舎の安寧を求めて移住して来る方も多く居ます。

 

 そんな方々は、本当にお目が高いと思います。

 

 私は若い頃、東京に住んでいましたが、それはそれは大変でした。通勤ラッシュの人の多さ、会社が終わり、帰りの電車も人が多いのです。

 

 休日にどこかへ出かけても、人、人、人。

 

 勿論、都会には都会の良さがあります。都会でしか叶えれない夢もあるでしょう。

 

 私が言いたい事は、都会に住んでいようが、田舎に住んでいようが、人の数だけ

「価値観」があると言う事です。

 

 都会の喧騒が、日々の生活に刺激を与えてくれると言う人も居れば、田舎の空気の良さが、たまらないと言う人も居るでしょう。

 

 価値観は、人それぞれです。

 

 そして、人の数だけ、その価値観は尊重されなければいけないのです。

 

 私は、価値観とか尊重と言う言葉の本当の意味を知ったのは大分、歳をとってからでした。

 

 いや、今もまだ半分くらいしか理解出来て無いのかもしれません。

 

 それくらい、価値観や尊重と言う言葉は深くて重いのです。

 

 人として生まれて来た事。それだけでも、本当は尊い事です。

 

 人の数だけ、人生もあります。

 

 私は、自分の価値観を人に強要していないだろうかと、よく振り返っています。人、それぞれ価値観は違うのですから、強要などしてはいけません。

 

 私が通っていた、小学校の校長先生が言っていました。

 

「自分がされて嫌な事は、人にはしてはいけません」と。

 

 大人になった今、本当にその言葉の意味がよく分かります。

 

 日本は今、多様性と言う、本当に大きな大きな分岐点に立っていると思います。そして、それに伴って、新しい常識や倫理観も生まれてくるでしょう。

 

 超情報化社会と化した今、本当に大切な事、それは自分の目で見て、自分の耳で聴き、自分で感じとらなければいけないと思います。

 

 昨日の常識が今日は通じない。

 

 そんな現在に突入しつつあります。ですが、自分の価値観ばかり押し付けず、相手を思いやり、相手の価値観を尊重していけば、明るい平和な社会が生まれると私は思っています。

 

 みんなちがって、みんないい。

 ’’金子みすゞさん’’

 

 自分も相手も尊重される社会を祈りながら、私は今日も生きています。

 

 では今日はこの辺で失礼します。

 

 またの、ご機会に。

 

 

 

 

 

 

「子供は宝物」

子供は、いつだって宝物


 子供は、本当に可愛いですよね。誰もが皆、無邪気で、天真爛漫で。

 

 子供の頃に、抱いていた、とてつもない壮大な夢や目標は、今現在、どれくらい実現しているのか、たまに自分自身に問いかけています。

 

 あの頃、描いていた自分になれたのか。

 

 私は、プロ野球選手になる事が夢でした。甲子園に出場し、大手球団からスカウトを受け、広大な球場でプレイするのを、日々、思い描いていました。

 

 ここでは割愛させて貰いますが、私は諸事情により夢を諦めてしまいました。

 

 ヤンキー先生こと、義家弘介さん「夢は逃げていかない」とおっしゃていましたが、正しくその通りだと思います。

 

 諸事情が何であるにすれ、あの時の自分が夢から逃げたから、今の自分に至っている訳です。

 

 正に、人生のターニングポイントだったと言えるでしょう。

 

 しかし、今の自分に満足していない訳ではありません。

 

 今になってから、気付くこと、気付かされる事、それが「子供達」の存在です。

 

 子供は「今」この「瞬間」「生きる」「才能の塊」です。きっと、15分後の事など考えてもいないと思います。

 

 それくらい「今」に集中している、集中して生きている。

 

 大人になるにつれ、しがらみやらなんやらで、忘れかけていた、あの時の想い。

 

 いつまでも公園の遊具で遊んでいた、あの時の気持ち。それを忘れてはいけないのでは無いかと、常々思います。

 

 画家のパブロ・ピカソは言いました。

 

 「子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ

 以下↓参照

 

 

www.a-inquiry.com

 

 子供の頃、描いていた自分とは、ちょっと違う自分かもしれないけど、あの頃の気持ちは、忘れているだけで、どこかへ失ってしまった訳では無いのだと思っています。

 

 ウクライナでは、宝物の子供達が多く、犠牲になっています。

 

 もしかしたら、世界を変えてしまうくらいのパワーとバイタリティーを持っていたかもしれません。ここ、日本から、ご冥福をお祈り申し上げます

 

 ここで、戦争論議をするつもりはありませんが、一刻も早く事態が終結に向かう事を、只々、祈るばかりです。

 

 私は、今年で38歳になります。

 

 そう考えると、人生も半分、折り返しに入っているのかもしれません。

 

 一生に一度しか無い人生。自分が主人公です。

 

 いつまでも、無邪気に遊ぶ子供の様に、毎日を楽しく生きれる様に、今日も青い空を見上げています。

 

 教える事よりも、教えて貰う事の方が多い、宝物である子供達の成長を見守りながら。

 

 それでは、今日はこの辺で失礼します。

 

 またの、ご機会に。

 

 

 

 

死生観とは

時の経過の儚さ


いきなり、死生観と言われても、殆どの人はピンと来ないですよね。

 

かく言う私も、身近な人の死と言ったら、小学校三年生の時に祖母が死んだくらいで、それ以降は体験していません。

 

人が死ぬと言う実感は、祖母の遺影を見た時、仏壇に手を合わせた時、ようやく実感したものです。

 

母が、これからは「ただいま」と言っても、いつもの「おかえり」と言う言葉が無くなるよと言って初めて祖母が死んだという事実を感じました。

 

人は必ず死にます。

 

後、何年するか、それは誰にも分かりませんが死にます。

 

皆さんは、メメント・モリと言う言葉をご存じでしょうか?

 

「自分がいつか必ず死ぬ事を忘れるな」と言う、古代ローマから伝わる警句です。

 

詳しくは、こちらをご参照下さい↓

 

ideasforgood.jp

 

人生は有限です。限りがあります。

 

十代の頃は、時間が永久に存在するかの様に錯覚しますが、気が付けば、もう四十代、五十代に突入しています。

 

「光陰矢の如し」とは、よく言ったもです。

 

私が教えられた言葉ですが、時が経過すると言う事は何が起きているのかと。

 

そう、時が過ぎると言う事は皆「死に向かっている」と言う事です。

 

もし、明日死ぬとしたら、私だったら最期の一日を愛する家族や恋人、そして友人と、志を共にする仲間と、楽しい時間を過ごしたいと切に願います。

 

今晩、天変地異が起こり大災害が起こるかもしれません。

 

ミサイルが突然、落ちてくるかもしれません。

 

私が、何を言いたいかと言うと、後悔しない生き方を皆さんにもして欲しいと言う事です。

 

人生は、一瞬一瞬の積み重ねで出来ています。

 

「今」の積み重ねが人生です。

 

「マインドフルネス」が脚光を浴びている今、私は「今」に集中して生きているのかと、よく疑問に思います。

 

私は、タバコを吸っていますが、タバコの煙をくゆらせている時、人間も最後には煙となり、やがて灰になって終わるのだと、常日頃、感じています。

 

で、あるならば、やはり今日と言う日を無駄にしたくないです。

 

宇宙が誕生して138億年、地球が誕生して46億年、そして人類が誕生しました。

 

人間は、長くても100年しか生きられない。

 

そう考えた時、人生の儚さを感じます。

 

だからこそ、自分の人生、自分の時間を大切に生きていきたいです。

 

「自分の死を忘れるな」

 

その言葉通り、私も、このブログを読んで下さっている、画面の向こう側に居る、あなたも必ず死にます。

 

死後の世界は、誰も知りません。

 

何故?

 

だって、誰も見たことが無いのですから。

 

余談ですが私は、いつ死んでも良い様に、免許証や保険証、それにマイナンバーカードの裏面に臓器提供の意思を書き記しています。

 

私が死んでも、誰かの為に、誰かの役に立つのなら、こんなに嬉しい事はありません。

 

そして、人と接する時は、笑顔を忘れぬ様に心掛けています。

 

そして、帰ってくる、相手の笑顔、元気、笑い声が、私の最期を彩ってくれると信じています。

 

これは、あくまでも主観ですが、輪廻転生で、運良く人間に生まれ変わる事が出来たのなら、同じ様に、笑顔を絶やさず生きていきたいです。

 

そんな私は「一期一会」の精神で、今日も生きています。

 

素晴らしい明日が来ると信じて。

 

それでは、今日はこの辺で失礼します。

 

またの、ご機会に。

 

愛のカタチは無限大

愛のカタチは無限大

 愛とは、一体何でしょうか?

 人を好きになる事でしょうか?

 

 好きになる事は、感情、つまりエモーショナルな部分が強いので、一概に好き=愛には結びつかないのでは無いのかと個人的には思います。

 

 例えば、中学生の男女が、互いに惹かれ合って付き合ったとします。

 そこに介在するのは「恋」という表現になります。

 

 勿論、互いが互いに惹かれ合って好きになったのですから「愛」もある事だと思います。

 

 じゃあ、その「愛」は、どうすれば相手に伝わるでしょうか?

 

 「君が好きだ」と百回言えば「愛」が伝わるでしょうか?

 

 百回ハグすれば「愛」が伝わるでしょうか?

 

 愛のカタチは無限大ですから、やはりそれも一つの「愛」でしょう。

 

 でも、哀しいかな人間は「見返り」を求めてしまう動物です。

 

 よほどの人格者でもない限り、人は人間関係に期待をしてしまいます。

 

 俺が、私が、こんなにも尽くしているのに何故、あなたは答えてくれないのかと、思ってしまう生き物、それが人間です。

 

 今から十年前くらいに、某大手本屋さんで立ち読みをして、そのまま号泣して、衝動買いをした記憶がある、素敵な絵本があります。

 

「いつもいっしょに」

作 こんの ひとみさん 絵 いもと ようこさん

金の星社

 この絵本に私が言いたい事の全てが詰まっています。勿論、内容は皆さんが読んでからのお楽しみです

 

 いもと先生の可愛いイラストに、こんの先生の日常的な描写を上手く表現されている、お二人のハーモニーが最高です。本当に感動しました。

 

 今の時代は「多様性」の時代です。

 

 「愛」のカタチは本当に無限大です。

 

 LGBTQの動きも、ようやく国が動き出して来た所です。本当に素晴らしい事です。

 

 誰を好きになってもいいんです。

 誰を愛してもいいんです。

 

 でも、そこには相手の「本当の気持ち」が介在している事を忘れてはいけません。

 

 見返りを求めない、母親の慈愛の様な愛で、人を大切に出来る時代が来る事を想って止みません。

 

 そして、私自身が、見返りを求めない愛で、これから出逢うであろう人達に接していきます。

 

 いつの日か、あなたの素敵な笑顔が見れますように。

 

 それでは、今日はこの辺で失礼します。

 またのご機会に。