死生観とは
いきなり、死生観と言われても、殆どの人はピンと来ないですよね。
かく言う私も、身近な人の死と言ったら、小学校三年生の時に祖母が死んだくらいで、それ以降は体験していません。
人が死ぬと言う実感は、祖母の遺影を見た時、仏壇に手を合わせた時、ようやく実感したものです。
母が、これからは「ただいま」と言っても、いつもの「おかえり」と言う言葉が無くなるよと言って初めて祖母が死んだという事実を感じました。
人は必ず死にます。
後、何年するか、それは誰にも分かりませんが死にます。
皆さんは、メメント・モリと言う言葉をご存じでしょうか?
「自分がいつか必ず死ぬ事を忘れるな」と言う、古代ローマから伝わる警句です。
詳しくは、こちらをご参照下さい↓
人生は有限です。限りがあります。
十代の頃は、時間が永久に存在するかの様に錯覚しますが、気が付けば、もう四十代、五十代に突入しています。
「光陰矢の如し」とは、よく言ったもです。
私が教えられた言葉ですが、時が経過すると言う事は何が起きているのかと。
そう、時が過ぎると言う事は皆「死に向かっている」と言う事です。
もし、明日死ぬとしたら、私だったら最期の一日を愛する家族や恋人、そして友人と、志を共にする仲間と、楽しい時間を過ごしたいと切に願います。
今晩、天変地異が起こり大災害が起こるかもしれません。
ミサイルが突然、落ちてくるかもしれません。
私が、何を言いたいかと言うと、後悔しない生き方を皆さんにもして欲しいと言う事です。
人生は、一瞬一瞬の積み重ねで出来ています。
「今」の積み重ねが人生です。
「マインドフルネス」が脚光を浴びている今、私は「今」に集中して生きているのかと、よく疑問に思います。
私は、タバコを吸っていますが、タバコの煙をくゆらせている時、人間も最後には煙となり、やがて灰になって終わるのだと、常日頃、感じています。
で、あるならば、やはり今日と言う日を無駄にしたくないです。
宇宙が誕生して138億年、地球が誕生して46億年、そして人類が誕生しました。
人間は、長くても100年しか生きられない。
そう考えた時、人生の儚さを感じます。
だからこそ、自分の人生、自分の時間を大切に生きていきたいです。
「自分の死を忘れるな」
その言葉通り、私も、このブログを読んで下さっている、画面の向こう側に居る、あなたも必ず死にます。
死後の世界は、誰も知りません。
何故?
だって、誰も見たことが無いのですから。
余談ですが私は、いつ死んでも良い様に、免許証や保険証、それにマイナンバーカードの裏面に臓器提供の意思を書き記しています。
私が死んでも、誰かの為に、誰かの役に立つのなら、こんなに嬉しい事はありません。
そして、人と接する時は、笑顔を忘れぬ様に心掛けています。
そして、帰ってくる、相手の笑顔、元気、笑い声が、私の最期を彩ってくれると信じています。
これは、あくまでも主観ですが、輪廻転生で、運良く人間に生まれ変わる事が出来たのなら、同じ様に、笑顔を絶やさず生きていきたいです。
そんな私は「一期一会」の精神で、今日も生きています。
素晴らしい明日が来ると信じて。
それでは、今日はこの辺で失礼します。
またの、ご機会に。